お早うございます
日本には色んな”挨拶”があるけれど
「お早うございます」は何かしっくりくる。
ここ1ヶ月あまり家で眠っていない、ベッドで眠っていない?私だが、東京に来ている🗼
東京という土地はいつも私にショックを与えてくれる。そのショックは感じ方次第で無数に存在することを認識している。
では、本題に入ろう…
「器の話」
である。
これはあくまで、架空を素として創り出した想像や意識的な話である。
先にも記したが、これを読みあなたが獲たショックは、感じ方次第で無数に存在することを認識していただきたい。
また、以下に登場する「モノ」の捉え方は個々人にまかせることとする。どうかそれはそれでどうか心のうちに秘めておいて頂きたい🙏
「器の話」
私が中学生の頃、とある本を読んだ。
それは一種の偶然、または流行りの類なのかもしれない。
内容はこうだ
「社会人として働く青年とその青年の目の前に突如として現れた象の姿をした神を介して繰り広げられる架空の物語」
続けて、その本にこのようなシーンがある。
「一人暮らしの青年の部屋は綺麗ではない
更に、仕事やプライベートのスケジュールもまともにまとまってはいない」
そんな中、像の姿をしたものは言う
「器の上に置けるのは限りがある」
私はこの言葉をこう解釈している。
青年の汚れている部屋を物理的な空間、
目には見えない意識的なものやスケジュールなどのことを非物理的な空間とする。
両者を総し、器の上というスペースを設ける。
ここでいう器の上には、物理的にも非物理的にも限界があるということである。
更に、像の姿をした者はこう続ける。
「余計な物は排除しなければならない」
つまり、限りある器の上に断捨離のような選別を行い、スペースを空けるということになる。
三次元世界と結びつけよう、
整理整頓が出来ていない物理的空間においてスペースは生まれない、スマートではないスケジュールでは余裕は生まれない。
この言葉を簡単に表現すると、
部屋は整理整頓しておけ、
スケジュールはしっりと管理しておけ、
ということになるだろう。
しかし、私の見解とは異なる部分がある。
重複するが、
確かにここでいう器の上には限界がある。
スペース(余裕)を空けるためには、不必要なものは排除しなければならい。
例えば1つの器を想像してみよう…💭💭💭
器の上に、とあるモノを山のように積み上げる。
すると限界値に達した地点で
たちまちモノは最下層から器の外へと零れだす。
モノの中の物質を整理整頓することによって1部の良質の本質だけが厳選される。
また、その厳選されたモノを計算して、管理することによって、その山は零れることなく、より高い限界値まで持っていくことが出来る。
私の見解はこうだ。
せっかく獲たモノを排除するべきではない。
高く積み上げることを理由に、捨てる必要はないということだ。
しかし、代わりに新たな土台を創りあげる必要がある。
器自体を強く、広く、深く、ユーモラスにしてしまえばいい。。。
つまるところ、、、
器を壊し、考え、練り直し、知恵をしぼり、積み上げやすい形状にする。
総じて、安定した土台にすればよい。
そうすれば、モノはより多く、より洗練されたモノになるだろう。
形成された器、凝り固まった常識、の上に
上手に丁寧に乗せていくのではない。
時に壊すことにあらゆる抵抗、葛藤は付きまとうが、勇気を持ってぶち壊す、新たな気持ちで創りなおすことが大切である。
- 「器の話」著: ブログ支配人 ソブエ
この話は特に、性別が「男」である方に関しては重要な問題だと感じる。
私は、スケジュールは調整、管理、色々言い回しはあるけれど、今の限界まで詰め込むことが吉だと言い切る。
なぜなら、どこでいつなにが起こるか?
の可能性は無限大であるからである。
もちろん、スケジュールを詰め込むことで、
様々なリスクが発生するであろう。しかし、まだ起こってもいないリスクを恐れてはいけない。いつだってリスクとは背負うものであり、スリルとして、楽しむことができるものであるからである。
器の上には、限界があるとあったが、
器の仕様によっては、無限大である。
私は、幸いにも器のを創造、構築することができる環境にある。
全てのモノから、一生をかけて学び続けるでしょう🌱
〜ヒント〜
「心」の中にあるということ
「男」と「漢」の違いを知ること
「宇宙」を学ぶこと